沖縄風習シリーズ「もっと知りたいジュウルクニチの意味」~あらためてその本質を深堀りする~

沖縄には正月が3つあるといわれます。いうまでもなく本日と旧正月、そしてあの世の正月といわれるジュウルクニチです。

これについては以前の記事でも紹介していますが、その由来はなんなのか、シーミーとどう違うのかなどについてはあまり知られていません。なぜ16日という、いわば中途半端な日にやるのかも疑問です。

そんなこともあって、年が明けるとジュウルクニチのことが気になるのですが、本質的な意味がイマイチよくわかりません。それを明らかにするために、由来を中心に少し調べてみましたので紹介します。

★沖縄の伝説・風習シリーズについてのご理解ご協力へのお願いをコラムの最後に書かせて頂いていますので読んで頂ければ幸いです。

※ふう しゅう 【風習】

その地域社会で、人々が長年に渡って伝えててきた生活や行事の独特のならわし。しきたり
風俗習慣

1月16日である由来

ジュウルクニチは、本来旧暦の1月16日に行われる行事です。したがって、今年の場合は2月27日となります。

ただ、地域や家によって近年は新暦の1月16日や、それに近い土日に行われることもあります。盛んなのは主に宮古や八重山、本島では北部地域です。

ではその由来ですが、琉球王国時代にさかのぼります。王府の家来のひとりが元日から15日までは首里城内における正月行事のために働き、それが済んだ16日に父母への年頭のあいさつのために故郷へ帰ったところ、ふたりとも亡くなっていました。悲しみに暮れながらお墓を訪れ、あの世の両親に年頭のあいさつを述べたそうです。これが16日にお墓参りをする習慣につながったといいます。

もうひとつの説は、この世の正月が終わった翌日が、あの世の正月になるというものです。1月14日は小正月といわれ、15日には松飾りが取れて正月が終わるというのです。

それにからんでか、元日から15日までは神様がいる神聖な期間なので、汚さないようにそれを避けて16日にお墓に参ってあの世のお正月を祝うともいわれています。

シーミーとはそもそも性格が違う

こうした話からわかるのは、同じ墓参り行事でもシーミー(清明祭)とは、由来が根本的に違うということです。

シーミーは、もともと中国から入ってきた習慣です。清明は本来、二十四節気のひとつであり、春分の次、穀雨の前です。したがって、シーミーも季節行事のひとつという考え方もできます。

なので、琉球王国の正月行事の後とか、神様がいる神聖な期間を避けたなどというジュウルクニチとはそもそもまったく違うのです。

ちなみに、清明祭は、中国はもちろん朝鮮でもお墓参りの行事として古くから行われており、沖縄では中国から移住してきた人々が住んだ那覇の久米村で行われたのが始まりといわれます。

久米村で行われている清明祭に習って首里王府がシーミーを始めたのが1768年で、今から250年余り前ということになります。

シーミー中心でもミージュウルクニチをするケースも

ところで、ふだんシーミーに墓参りする地域でも、人が亡くなって初めてめぐってくる1月16日にはお墓参りをすることがあります。これをミージュウルクニチといいます。

これはジュウルクニチの本質をよく表しているといえます。つまり、シーミーはお祝いの側面があるので、喪中の家ではやりません。正月のお祝いを避けるようにシーミーも避けるのです。なかには三年忌が明けるまではシーミーをしないという家もあるほどです。

一方で、普段は行わないのに、喪中だからこそジュウルクニチをする家があるということは、シーミーがお祝いであるのに対して、ジュウルクニチが供養の行事であるということであり、そこが本質的な違いといえるでしょう。

船を見送る三重グスクで礼拝する人々

さて、ジュウルクニチといえば、忘れてはいけないのが那覇港近くにある三重グスク。1月16日に、お墓参りに帰れない離島出身の人々が、ここで故郷に向かって礼拝するのが習わしになっています。

三重グスクは16世紀の初めごろ、外敵を撃退するために造られたそうです。その後、17世紀初めに薩摩が琉球に侵攻してからは、港を出ていく船を見送る場所となりました。

したがって、離島に帰れない人々が、出航する船に気持ちを重ねたりしながら、ご先祖様のお墓に祈りを捧げる場として最適なのかも知れません。

お墓でごちそうを広げながら飲めや歌えの宴会をするシーミーと、はるか海の彼方の故郷をしのぶ離島出身者のジュウルクニチでは、風景がまったく違うのも印象的ですね。

まとめ

ジュウルクニチの由来は、琉球王府に仕えていた家来が、お正月行事の終わった16日に里帰りしたところ両親が亡くなっていたためにお墓参りしたことから始まったというのがひとつ。

さらに、15日までは神様がいる神聖な期間なので、それが明けた日にお墓であの世のお正月を祝ったという説もあります。

シーミーは中国から渡ってきた行事で、お祝い的な側面もあります。一方ジュウルクニチは、琉球王国時代の発祥であり、あくまで供養を目的とする行事です。

ふだん、シーミーにお参りする地域でも、近親者が亡くなって初めてめぐってくる1月16日にはお墓参りする場合があります。

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※毎回書かせて頂いている「沖縄の風習シリーズ」は

みくにの会社も6年目に入り、毎日地道に稚拙なブログを書かせて頂いています。

このグログを読んだ読者様からの御質問等から沖縄に昔からある伝説・風習等を調査してその意味等を書かせて頂いています。

その為にその地域独特の「伝説・慣習・習慣」には、現在の社会情勢・常識から乖離した習慣もあります。著者としてその習慣について擁護・批判する立場には加担する目的はありません。 予めご理解・ご協力の程宜しくお願います。

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