「沖縄で仏教は普及しなかった?」~でもお葬式のお坊さんはなぜかという話~

このコラムでは何度も取り上げていますが、沖縄社会は儒教の影響を大きく受けています。先祖崇拝、お葬式、法事、仏壇、お墓、シーミーなどもなんらかの儒教的要素を含んでいるといっていいでしょう。

でも、儒教だけではありません。お通夜やお葬式に行くと、お坊さんがお経を上げているのを目にすることもよくあります。

つまり、仏教の影響も受けているわけです。しかし一般に、本土に比べると沖縄では仏教が広まっていないといわれます。その根拠として「先祖崇拝が宗教だから」という話もあります。

しかし、本当に沖縄では仏教が根付かなかったのでしょうか。お葬式でお坊さんの姿を見るたびにそんな疑問が湧きます。その疑念を解消するため、今回は沖縄における仏教とお寺の歴史について少し調べてみました。

波上宮の隣にある護国寺は14世紀の創建で、現存するものとしては沖縄最古のお寺です

もちろん沖縄にも仏教は伝来した

ご存じのように沖縄にもお寺はあります。したがって、仏教がまったく普及しなかったわけではありません。実際に調べてみると、1265年~1274年の咸淳(かんじゅん)年間に、禅鑑という僧侶が那覇に漂着し、仏教を伝えたとされます。

ちなみに日本には538年には仏教が伝来していたとされるので、琉球に伝わったのはそれから700年以上経ってからということになります。比較的新しいということもできますね。

沖縄初のお寺は浦添に

禅鑑が仏教を伝えたころ、琉球は英祖王の世でした。英祖王は仏教に帰依し、居城としていた浦添城のそばにお寺を建立するよう命じます。これを極楽寺と称し、沖縄で最初のお寺となりました。現在の浦添ようどれ付近にあったようで、禅鑑もここに住みました。

その後、極楽寺は荒れ果て、移転します。移転先は現在の浦添中学校のグラウンドのあたりで、名称も龍福寺と変わります。龍福寺は、17世紀初頭の島津の琉球侵攻時に焼失してしまいますが、現在もその場所には説明板が立っているので、お寺があったことがわかります。

時代が下り、尚寧王(在位1589年~1620年)の時代に龍福寺は再建されますが、その後、糸満へ、さらに泡瀬へと移転をくり返したそうです。

龍福寺の跡には石製の説明板が設置されています。金網の後ろに見えるのは浦添中学校のグラウンド

現存する沖縄最古のお寺は護国寺

1368年には、薩摩からきた頼重という僧侶によって護国寺が建立されました。場所は那覇の波上宮のそばです。

護国寺は、沖縄で2番目に建てられたお寺で、現存するものとしては県内最古となります。琉球統一前の察度王の時代に真言宗の普及のために創建されたともいわれます。

代々の国王は、即位の際に護国寺に詣で、家臣たちと縁結びの儀式を行ったそうです。実際、このお寺は王家の命によって創建されたもので、明治に入って琉球王国が消滅するまで王家と強いつながりがありました。

ちなみにこのようなお寺を勅願寺といい、格式がとても高いそうです。

王家が盛んにお寺を建立

さて仏教伝来後、北山、中山、南山の三山が分立する時代を経て、尚巴志が統一して琉球王国が成立すると、あたらこちらにお寺が建立されます。この流れは第二尚氏の時代になっても続き、このころには仏教は琉球王国の国教といってもいいほど栄えるようになります。

こうした流れの中で第一尚氏は、王家が先祖を祀るお寺として首里城近くに慈恩寺を建立。さらに第二尚氏は泊に崇元寺を建てました。慈恩寺は現存しませんが、崇元寺は沖縄戦で焼失後、石門が再建されて今も見ることができます。

さらに、崇元寺と並ぶ名刹として円覚寺が1494年に創建されました。時の尚真王が父の尚円王を祀るために鎌倉の円覚寺を模して建立し、以来第二尚氏王統の菩提寺となりました。沖縄戦で全壊したのですが、1968年に門と池が復元されました。現在は、沖縄県立芸術大学の敷地の一部になっていて、三門の復元が進められています。

このほかにも、首里や那覇を中心に数多くのお寺が建立されましたが、廃寺となっているケースも多くあります。

円覚寺跡は沖縄県立芸術大学のキャンパスの脇にあり、門が復元されています

円覚寺跡の内部は池が復元されていて、奥には首里城の一部も見えています

仏教は王家のためにあった

このように見てくると、仏教の普及に役割を担うはずのお寺が、実際には琉球王家のために存在していたようであることがわかります。民衆のためではなく、王家のためのお寺だったのです。

したがって、一般大衆にとってお寺は手の届く存在ではありませんでした。そうこうするうちに明治維新があって琉球王国が消滅。さらに戦争によってほとんどのお寺が焼失することになり、庶民が仏教に触れる機会が失われました。

まとめ

琉球王国の時代において仏教およびお寺は王家のための存在であり、一般大衆にとっては、まるで別世界のものでした。

そのため、檀家制度があった本土のように民衆には普及せず、先祖崇拝が宗教のように定着していきました。

そのせいで、沖縄の仏教はお通夜やお葬式にその名残が見られるだけになったといっていいでしょう。

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