「今さら聞きたい,本のお葬式スタイルの元は?」~お葬式文化の源流を探る話~

キリスト教や本土のお葬式に参列すると、いつもの沖縄のお葬式とは違うスタイルを見ることになりますが、そんなとき、背景に文化を感じることがあります。

お葬式も文化なので当然なのですが、それはどのようなもので、どこから来たのかと考えることもあります。

そこで、ふだんはほとんど意識しない、お葬式文化の源流について調べてみました。

日本のお葬式文化の源流は儒教と仏教

結論からいうと、お葬式文化の源流は儒教と仏教にあり、これが入り混じって沖縄を含む日本のお葬式スタイルを形作っているようです。

それは、お隣の台湾や香港、韓国、さらにいわゆる華僑と呼ばれる中国系の人々が住んでいる地域のお葬式を見るとわかります。

特に影響が強いのは儒教のようです。孔子を始祖とする儒教は、台湾、香港など、主に東アジアの華僑の住む地域で、政治思想から日常生活に至るまで、深い影響を及ぼしています。韓国も、キリスト教徒や仏教徒が多いにも関わらす、葬送は儒教の伝統に従って行うのが普通です。

したがって、儒教は宗教というより、思想、規範と考えることもできます。

親の葬儀をどのくらい盛大にできるかが大事

では、儒教圏のお葬式の実際を紹介してみましょう。

先祖を尊ぶこともあり、儒教の行き渡っている地域では、一般に盛大な葬儀を営みます「孝」を重んじる儒教では、親の恩に報いることが大切で、それが先祖を大切にする心につながっているからです。

そのため、親の葬儀をどれだけ盛大に行えるかが、とても大事になってきます。

読経してもらい大げさに泣く

そして葬儀では、亡くなった人の霊魂が冥界の旅を無事に切り抜けて神となり、先祖の位牌(神主)にたどりつけるように助けることが要点となります。

人が亡くなると、かつて近親者は泣きはらし、亡くなった人の魂を呼び戻すために、屋根の上に昇って大声で死者の名前を呼ぶこともありました。遺体は買水(外の流水)で湯灌し、黒や赤の漆塗りの立派な棺に納めます。

そして、仏教の僧侶か道教の道士に来てもらい、読経してもらいます。葬儀は普通、喪家や殯儀館と呼ばれる葬儀場で営まれますが、3日ぐらい続くこともあります。また、死後の世界で暮らすのに困らないよう、紙や竹で家を作ったり、紙銭やお供えものを供えたりします。

一般に、葬儀では死者を悼んで大げさに泣かなくてはいけないとされています。職業的な泣き女を雇うこともあります。

魂は天に昇り魄は地に降りる

葬儀が終わると、葬列を組んで墓地に向かいます。葬列には、弔旗がついたり、楽隊が音楽を奏でたりもしますが、車の場合は霊柩車を先頭に、花を飾った参列者の車が続きます。

墓は「陰宅」とも呼ばれます。ちなみに、生きているときに住んでいた家を「陽宅」といいます。墓の場所は、占いによって決められ、遺体は馬蹄形の墳墓に土葬されます。都市部では、火葬にして遺骨を納骨堂に安置することもあります。

しかし、儒教の考え方では、本来は土葬です。それは「人は死後、魂(こん)と魄(はく)に分れ、魂は天に昇り魄は地に降りる」とか「死後脱け出た霊魂が再び戻ってとりつく場所が必要」などといわれるからです。

つまり、人は死ぬと精神を司る「魂」と肉体を支える「魄」というふたつの「たましい」に分離し、魂は天に昇って神になり、魄は地に戻ってくるとされます。そして、魂を祀るために位牌を作って拝み、魄の戻る場所を残しておかなくてはならないため、遺体は火葬せずに土葬します。

孔子も葬式ごっこをした

一説によると、儒教の教えを広める人、つまり儒者は、昔は葬儀屋さんだったそうです。人が亡くなると儒者が呼ばれ、葬儀を取り仕切り、詩経を唱えました。

孔子も、小さいころは葬式用の道具を使って葬式ごっこをして遊んだといわれます。また、孔子は「死は民の卒事なり(死は人生最後の一大事である)」といっています。

儒教は、死を人生の一大事と位置づけて重要視し、それを体系化しました。祖先崇拝につながる行事である葬儀は、教えを体現しているという意味で、儒教と切っても切れない関係にあるのです。

それはいいとして、韓非子は儒教式の盛大な葬儀について「儒者は葬によって家を破る」と茶化しました。つまり、多額の費用をかけて念入りな葬儀を行ない、長い喪に服しているうちに家が傾くというのです。逆にいえば儒教の信奉者は、そこまでして親に対する孝を尽くそうとするのです。

まとめ

日本のお葬式には儒教の影響が見られますが、特に沖縄においてお葬式を盛大に行おうとする点には、それが顕著なようです。

儒教では、死は人生の一大事です。

しかし、盛大すぎるお葬式に対して、首をひねる人も昔からいたようです。

  • エンドオブライフYoutube
  • 沖縄就活案内所Youtube