お葬式に何度か参列するとわかりますが、いつもほとんど同じ形態です。お坊さんが読経して、参列者は香典を出し、焼香して、香典返しをもらって帰るというスタイルで、違和感を持つことなどほとんどありません。
しかし、欧米人の目には日本の葬送習慣はかなり奇異に映るようです。背景に宗教や道徳観など文化的な違いがあるのはもちろんであり、どっちがいいとかどっちが進んでいるといった比較をしても仕方がありません。
また、ボーダレスの時代だからお葬式を国際化しようなどと声を上げても、このジャンルについてはまったくのムダでしょう。
ただ、並べてみるとなかなか興味深い点があります。そこで今回は葬送をめぐる日本と欧米の文化的違いというテーマでお話ししてみます。
宗教が混合する日本の冠婚葬祭
日本の葬送にまつわるキーワードとして、輪廻、無常観、火葬などがありますが、これらは仏教の影響を受けています。一方、祖先崇拝、位牌、法事などは儒教から来ています。
仏教や儒教、さらに神道や土着信仰も混じって、現在の葬送文化が形成されたといっていいでしょう。ちなみに沖縄の場合、いわゆる琉球神道の影響も強く受けているとされます。
このように、日本の冠婚葬祭は、さまざまな宗教的要素が入り混じっているのが特徴です。そのため、生まれたときには神社にもうで、結婚式は教会で神父さんや牧師さんに執り行ってもらい、お葬式にはお坊さんが来るというのが普通であり、この宗教ミックスを誰も不思議には思いません。
しかし、自分にとっての宗教はひとつであると考える外国人には、これはまったく考えられないことであり、その目に奇異に感じられても仕方がありません。
日本人の遺骨へのこだわり
もうひとつ、葬送をめぐる大きな違いは遺骨の扱いです。日本人は遺骨に対してフェティシズムともいわれるほど強い執着を持ちます。
たとえば、戦後75年経った現在でも、沖縄をはじめ、激戦の地での遺骨収集が行われています。また、国内の遠隔地や海外で親族が事故で亡くなった場合、日本人はただちに現場に駆けつけ、遺体との対面を強く望みます。そして、遺骨を持ち帰ろうとします。
いずれの場合でも、遺骨を持ち帰ってねんごろに葬らなければ、故人の霊は成仏しないという考え方が土台にあります。
外国で大きな事故があると、日本のマスコミは犠牲者の中に日本人がいないかどうかをまず取り上げますが、これも同じような思想から来ているのかも知れません。
親族が事故死したら欧米人の興味は補償問題へ
一方、欧米人は、事故にあった親族が生きているのなら現地に急行しようとしますが、死亡が確認されていれば、それよりもむしろ補償など、お金の問題に焦点が移ります。
そして遺体や遺骨の取り扱いは現地の関係機関にまかせ、埋葬もその地にするのが一般的です。
海外での事故の際、日本人が巻き込まれていないかで大騒ぎする日本のマスコミを、欧米人が冷めた目で見ているのも確かです。
駆けつける日本人、そうっとしておく欧米人
日本では人が亡くなると、知人はまず通夜などに駆けつけて、親族にお悔やみをいうのを習わしとしています。お葬式を含めて、どれだけたくさんの人が来てくれるかが、故人の人望を測る尺度にすらなっているようです。
一方、欧米ではそうした考え方をしません。悲しみの最中にある親族をできるだけそうっとしておきたいとする配慮の方が尊重されます。大切な人を失った当事者もそう願うのです。
日本人と欧米人の違いの実例
少し古い話ですが、1974年3月、パリの郊外にトルコ航空の旅客機が墜落し、乗員・乗客の346名全員が死亡しました。犠牲者には日本人48名が含まれていたため、日本でも大騒ぎになりました。
一方、現地フランスのテレビ局では「事故原因については全力で報道しますが、悲嘆にくれているご遺族に対しては、その心情に配慮して取材活動を自粛します」として、視聴者の大きな支持を得たそうです。
その1ヵ月後、フランスのポンピドー前大統領が死去しました。国葬に先立ってパリで営まれた密葬では、親族や親友のみ18名だけの参列だったそうです。これも悲しみの最中にある夫人をそうっとしておこうという関係者の配慮でした。
人が亡くなったら、なにをおいても、大して親しくなくても、まずは駆けつけるのが礼儀と考える日本人。逆にそうっとしておくのがデリカシーとする欧米人。やはり、かなりの差がありますね。
まとめ
遺骨に対する愛着を越えた執着を持つ日本人。身内が死んだらまず補償を求めようとする欧米人。
亡くなった人の家に押しかけて親族を疲れさせたりする日本人。前大統領の密葬に18人しか参列しない欧米人。
どちらがどうというわけではなく、お弔いをめぐる文化の違いは興味深いというお話でした。