沖縄では一年に3つの大きなお墓参りの日があります。
もっとも有名なのは清明祭(シーミー)。現在では主に4月に行われ、一族がお墓に集まってご先祖様に重箱料理を供え、お酒を飲んだりもしながら談笑します。
もうひとつは、本島北部や宮古、八重山地方などでさかんな十六日(ジュウルクニチー)。旧暦の1月16日はあの世の正月とされ、親族でお墓に集まってご先祖を供養します。
そして、シーミーやジュウルクニチーに比べると地味かもしれませんが、忘れてはいけないのが七夕です。
今回はこの七夕にスポットを当ててみます。
本来七夕は五節句のひとつ
七夕といえば、ほとんどの人が7月7日を思い浮かべるでしょう。この日、天の川を挟んで向かい合う織り姫という女の星と、彦星という男の星が、年に一度だけ会えるといいます。これを星祭りと称してお祭りが始まりました。
星祭りはもともと中国で行われていたもので、これが日本に伝わり、現在の七夕として定着したわけです。
一方で、七夕は「しちせき」とも呼ばれ、端午(たんご)、重陽(ちょうよう)などと同じく五節句のひとつでもあります。七夕は、中国や日本のほかに韓国、台湾、ベトナムなど、アジアの各国や地域でも節句とされています。
日本では、七夕は旧暦7月7日の夜とされ、お盆と関連のある行事と位置づけられていました。
もともとはご先祖様にお盆を知らせる日
江戸時代までは、7月7日から15日くらいにかけて、家の中に設けた棚にお供え物をかざり、ご先祖様を供養していました。また、自分の体をきれいにしたり、井戸の掃除をしたりと、身の回りの不浄を清めたりしていました。さらに、お墓の掃除もしていたのです。
つまり、七夕というのは、お盆にご先祖様をお迎えする準備をする行事でした。別のいい方をすると、お盆の予備行事みたいなものだったわけです。
新暦導入でお盆と七夕が分離
さて、お盆に関連する行事だった七夕ですが、現代の日本ではそのような認識はあまりありません。織り姫彦星の星祭りに合わせて願い事をするというのが、今の日本人の常識となっています。ほとんどの人がお盆と七夕の関係を意識していないのが実情です。
なぜこうなったかというと、明治期になってグレゴリオ暦、いわゆる新暦が導入されたのが発端です。
旧暦から新暦に変わった際、伝統行事はそのまま新暦に当てはめられました。たとえば旧暦の元旦は、新暦の1月1日になったのです。わかりやすいといえばわかりやすいのですが、7月15日のお盆をそのまま新暦に移行すると、梅雨の農繁期にかかってしまい、いろいろと不都合があるということで、離れ業が持ち出されました。それが、月遅れというもので、お盆を農繁期が落ち着いた8月15日に1ヵ月ずらすというものです。
これによって、現代の日本ではお盆といえば8月13日から15日というのが常識となり、企業や官庁などの夏休みもこの時期に合わせるようになっています。
しかし、お盆を1ヵ月ずらしても、その準備をする七夕は、ずれませんでした。なんだか引き裂かれたようでかわいそうな気もしますが、七夕は新暦でも7月7日となりました。そのため、七夕はお盆と分離されて関連が薄まり、星祭りとしての側面が際だつようになっていったのです。
沖縄では分離されなかった
一方、沖縄ではお盆を旧暦で行います。つまり、旧暦の7月13日から15日です。七夕は旧暦でも7月7日ですから、日程的に近い存在であり、引き裂かれていません。というわけで、沖縄ではお盆関連行事としての七夕が残ったのです。
沖縄における七夕は、ご先祖様に「もうすぐお盆ですよ」とお知らせする行事といわれています。お知らせのために、まずお墓参りをします。ただ、これはシーミーやジュウルクニチーほど大がかりなものではありません。お供え物をしたりお線香を上げたりはしますが、ごく近縁の数人で行うのが一般的です。
そして、お墓の掃除をします。お清めの行事としての性格が強い七夕ですから、これは大切。というよりこれがメインといってもいいでしょう。また、家の仏壇にもお供え物をして御願をし、掃除をする家庭もあります。
また、七夕は一年に一度の「日無し(ヒーナシ)」でもあるとされます。ヒーナシは神様の目が下々まで届かないので、お墓事などをするのによい日だというのです。
沖縄では、決められた行事以外、むやみにお墓参りをしてはいけないという制約があります。しかし、神様の目を気にしなくていいヒーナシは、お墓の掃除をするのに最適というのです。こうした日は、ユンヂチ以外には七夕しかありません。
まとめ
現代の日本では七夕とお盆のつながりはほとんどなくなっています。一方沖縄ではそのつながりがまだ残っていて「七夕はお墓掃除をする日」という単純明快な認識が一般的です。
いずれにしても、ご先祖様にお盆の到来を知らせ、お墓を清める日という七夕本来の性格を受け継いでいるのは大変よいことであり、自慢できることといっていいでしょう。