「映画「洗骨」に出ていたのはどんなお墓か」~粟国島のお墓事情を見に行く①~

「洗骨」という映画をご存じでしょうか。沖縄出身のお笑いコンビ・ガレッジセールのゴリさんが本名の照屋年之名義で監督・脚本を担当し、奥田瑛二さん主演で昨年(2019年)に公開され、沖縄をはじめ全国的なヒットとなりました。

その舞台となったのが粟国島です。那覇から北西へ約60kmの東シナ海上に浮かび、人口700ほどの静かな離島です。

那覇と粟国島を結ぶ航路に18年ぶりに新造のフェリーが就航するというので、その初便に乗り、粟国島のお墓事情を見に行ってまいりました。

けがれを払って神様仏様に会う

映画「洗骨」では、粟国島における洗骨の儀式がメインテーマとなっています。とはいうものの、粟国に限らず、昔は沖縄全体でもよく行われ、かつての琉球王国の王室も洗骨を経て納骨されていたといいます。

背景には、洗骨されない死者はけがれていて、神仏の前に出ることができないという考え方があったとされます。

実際の洗骨は、亡くなった人を風葬し、数年の期間が過ぎてからお墓から出して行います。骨を洗うのは親族の女性、特に長男の嫁の役割とされてきました。映画では母親が死んで4年後、東京で働く長男が洗骨のため島に帰ってきますが、妻子はいっしょではありませんでした。離婚していたのです。

その理由は明らかになりませんが、風葬された死者の骨を洗う行為を嫌ったことも原因のひとつという推測もできます。

「この世」と「あの世」がきっちり分かれている

さて、粟国島を訪れてみると、お墓のある地域と人が住む地域がきっちり分けられていることがわかりました。お墓が集まっているのは島の西部の南海岸に面したエリアです。

このあたりにはヤヒジャ海岸と呼ばれる絶景スポットがあります。お墓は、そこに向かってなだらかに傾斜する崖の中腹あたりに集中しているようです。つまりお墓は南方向のヤヒジャ海岸とその先の海に向かって建っているのです。

崖とはいっても、車がすれ違える程度の舗装道があり、さらにヤヒジャ海岸の入口には駐車場も設けられているので、アクセスに問題はありません。

ところで、お墓エリアは「あの世」とも呼ばれているようです。映画でもそのように表現していました。

粟国港から1kmほど西へ向かうと、道がふたつに分かれるところがあり、この分岐点があの世の入口で、そこを左へ進むとお墓エリアへ入って行くようになっています。道路沿いには階段があり、車を停めて、そこを少し上っていけばお墓に着くことができます。

ここがあの世の入口。左の道を降りていくとお墓が集まるエリアになります。

一般的なお墓と違いがあるのか

おさらいになりますが、粟国島での洗骨は風葬が前提となります。火葬にするとお骨を洗うことができません。ちなみに、与論島でも洗骨の風習があったそうですが、鹿児島県が風葬を禁じたため、やむをえず死者をいったん土葬した後にお骨を取り出して洗骨したそうです。

洗骨の前に風葬されるのですから、お墓も風葬に対応した形態になっているはずです。それが今の沖縄の一般的なお墓とどう違うのか。その点がもっとも興味を引く点です。

石積みの入口が最大の特徴

実際のお墓は、斜面の壁に横穴を掘り、まわりをコンクリートで固めたスタイルが多いようです。意外に墓庭が広く取られたお墓もあり、そこもきちんとコンクリート造りになっています。単に横穴を掘って固めたという原始的な雰囲気ではありません。

ただ、家墓のようですが、「○○家之墓」などといった墓標のある墓はほとんどありません。人口700人程度の小さな島ではどこの家の墓なのかがみんなわかっていて、間違いようがないということなのでしょうか。

沖縄本島の墓との一番の違いは、墓室の入口の部分です。通常はコンクリートの扉になっていますが、粟国島のそれは石を積んでふさぐタイプが多いようです。簡易的といってしまえばそれまでですが、石積みの方が温かみを感じさせるのは不思議です。

映画「洗骨」でも、お墓を訪れた親族が自分の手で石を一個づつていねいにはずしていましたが、そのシーンが印象に残っているせいかもしれません。また、死者をお墓に収めてから数年後に取り出すという行為をくり返すので、入口は簡易な石積みの方が合理的という考え方もできます。

くり返しになりますが、墓庭から南方向を見ると、驚くほどの絶景が広がります。あの世と呼ばれる地域ですが、実際には天国と呼んだ方がいいかもしれません。俗な話をすると、たとえばリゾートホテルを建てれば人気になるだろうと思えるほどのすばらしい環境です。

粟国島で多く見られるのは入口を石でふさいだお墓。なかには石積みに草が生えているお墓もあり、なんだかぬくもりも感じさせます。

なかには入口の石積みが一部崩れかけたお墓もあります。

墓庭から南方向を見ると、このような絶景が広がっていて、まるで天国のようです。

まとめ

もともと沖縄では風葬が基本でした。本土に比べてお墓が大きいのもそのなごりです。風葬の風習を現代まで残してきたのが粟国島であるともいえます。

お墓もそうした葬送スタイルや自然環境にマッチした形態になっていることがよくわかりました。そしてあの世とはいいながら天国みたいな場所であることを知ったのが今回の取材でした。

次回も、もう少し粟国島のお墓の話をしたいと思います。

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