新聞の荼毘広告を見ていると、「七七忌の儀は繰り上げ法要として初七日の●月●日に四十九日とあわせて執り行います」などといった文を見ることが多くなった気がします。
初七日と四十九日の法要をいっしょに営むという意味なのはわかるのですが、なぜこういう流れになっているのかと疑問を持ったことはないでしょうか。
そこで、初七日とか四十九日とかにどんな意味があるのかも含めて、繰り上げ法要について調べてみました。
目次
死者は7日ごとに閻魔大王らの審査を受ける
故人が浄土へ行けるようにするための供養
沖縄では7日ごとに法要を行ってきた
開拓時代の北海道から広がった繰り上げ法要
会場も料理も用意が大変
コロナ禍でさらに流れが加速
まとめ
目次
死者は7日ごとに閻魔大王らの審査を受ける
仏教の考え方では、人は亡くなってから49日後に仏様の元へ旅立つとされますが、その前に閻魔大王らの審査が7回あります。
人が亡くなると、まず6日間かけて三途の川を渡り、7日目に最初の審査があります。そのタイミングに合わせて故人が浄土へ行けるように初七日の供養を行います。
その後、7日ごとに2回目3回目と閻魔大王らの審査を受けていき、7回目の四十九日に裁きを受け、最終的に浄土へ行けるかが決まるわけです。
故人が浄土へ行けるようにするための供養
したがって、四十九日までの法要は、故人を浄土へ送るために大切です。というのも、閻魔大王らの審査に合わせて遺族が供養を行うことで、現世で悪行を重ねた人でも、浄土へ行けるとされているからです。
ちなみに、浄土とは極楽浄土などともいい、天国と同じ意味と考えていいでしょう。蚊を1匹殺しただけでも悪行とされますので、ごく普通の人でも天国へ行けない、つまり地獄へ落ちる可能性があるわけです。
遺族としては故人に浄土へ行ってほしいと考えるは人情ですから、法要を行うのは当然といっていいでしょう。
したがって、初七日や四十九日などの法要は、故人を天国へ導くための、愛にあふれた行為ということができます。
沖縄では7日ごとに法要を行ってきた
こうした性格から、かつては7日ごとに、四十九日まで7回にわたって法要を行うこともありました。
沖縄では現在でもナンカスーコーといって各7日ごとに親族などが集まって供養を行ったりします。特に奇数回の7日に関しては多くの親戚や友人・知人も集まることが一般的でした。
沖縄でいう繰り上げ法要とは、これを簡略化したものです。しかし、従来の7日ごとの法要が頭にある人は、毎週故人宅や親族宅を訪れたりしかねません。
そこで、荼毘広告や通夜、告別式会場等で「七七忌の儀は~」などと法要を繰り上げて行うことを告知しているわけです。
開拓時代の北海道から広がった繰り上げ法要
ただ本土では、お葬式当日に初七日の法要を行うケースが増えているといいます。そこまで簡略化するか、とも思うのですが、もちろん理由があります。
葬儀で帰省した人が、約1週間後にまた帰ってこなくてはならないとなると、けっこう大変です。時間もお金もかかり、仕事も休まなくてはなりません。四十九日にはまた帰省するにしても初七日は厳しい、となるのはうなずけます。
ちなみに、こうした繰り上げ法要が最初に一般化したのは北海道だといわれます。入植者が多い北海道では生きていくために必死で開拓をしなくてはなりませんでした。きわめて多忙なうえ、特に冬場は厳しい自然環境となります。
お葬式の約1週間後に再度供養で集まるのは、大きな負担となり、実際的ではなかったのです。そこで昔から繰り上げ法要が行われてきて、現在もそれが定着しているというわけです。
会場も料理も用意が大変
沖縄は開拓時代の北海道ほど厳しい環境下にはありませんが、近年はマンションやアパート暮らしが増えたことも繰り上げ法要増加の背景にあると思われます。
1週間ごとにマンションやアパートの部屋に親戚や友人・知人を集めて法要を行うのは現実的ではありません。ホテルや葬儀場の会場を借りる選択肢もありますが、その費用はかなりのものになります。
料理も用意しなくてはなりませんが、自前にせよ仕出しを頼むにせよ、毎週となるとこれも相当な負担です。
というわけで、ナンカスーコーは簡略化され、初七日と四十九日をいっしょに行うことが増えてきました。現実に即して考えると、仕方のないことかもしれません。
コロナ禍でさらに流れが加速
繰り上げ法要を行うのがこのところの流れなのですが、それがコロナによって加速している観があります。
密を避けるために、大勢で集まる機会を少なくするという発想はよくわかります。
ただ、コロナ禍が終息したとしても、加速度はあまり変わらないでしょう。効率を考えれば繰り上げた方がいいのは当然だからです。
ただ、故人が浄土へ行けるようにするという法要の本来の目的からすれば、少し寂しさも感じます。
まとめ
繰り上げ法要が増えています。
本土ではお葬式当日に初七日を済ませる形が、沖縄では初七日に四十九日も兼ねた法要を行うことが一般的になってきました。
現代の暮らしのスタイルに合わせるという意味では理解できます。
ただ、7日ごとの法要は、本来故人が浄土へ行けるように供養するのが目的なので、それを単純に簡略化していいものかどうか、疑問が残る部分はあります。