沖縄伝説シリーズ「公事清明祭って、なに?」~シーミーの歴史と王家のシーミーに関する話~

2021年も4月に入り、シーミーの季節が訪れました。コロナ禍で中止、もしくは規模を縮小して行われるようですが、沖縄では年に1度か2度の貴重なお墓参りの機会ですが、今日はシーミに関する歴史について書かさせて頂きます。

ところで、新聞などでも紹介されていますが、伊是名島では通常とは少し異なったシーミーが行われます。これは公事清明祭 (クージヌシーミー) と呼ばれ、非常に重要な儀式とされています。

そこで公事清明祭がなぜ重要なのか、どんな儀式なのかなどを、もうひとつのシーミーという観点から、シーミーそのものの歴史も絡めて見ていくことにします。

★沖縄の伝説・風習シリーズについてのご理解ご協力へのお願いをコラムの最後に書かせて頂いていますので読んで頂ければ幸いです。

※ふう しゅう 【風習】⇒その地域社会で、人々が長年に渡って伝えられたきた生活や行事の独特のならわし。しきたり 風俗習慣

公事清明祭が行われる伊是名玉御殿。さすがに王家ゆかりのお墓だけあって、規模が大きく、堂々たる風格があります。

中国で始まってから1000年後に沖縄へ

シーミー(清明祭)の名称は二十四節気のひとつ「清明」に由来します。清明は今の暦でいうと4月5日ごろ。

また、期間を意味することもあり、その場合は次の節気の穀雨の前日までとなります。ちなみに2021年の場合、清明の期間は4月4日から19日までの16日間となります。

したがって、シーミーは原則この期間に行うべきものとなります。

さて、何度も紹介しているように、シーミーは中国から入ってきた行事です。記録によると、中国で清明祭が公式に行われるようになったのは732年のこと。

沖縄では、明の皇帝の命により中国福建省から渡来してきた久米三十六姓と呼ばれる人々が始めたとされます。それを琉球王府が取り入れて実施し始めたのは1789年以降のこと。

したがって、本家中国に遅れること1000年あまりということになります。しかも、明治まで100年を切ったタイミングなので、沖縄ではそれほど古い行事ではないといっていいでしょう。

整理すると、8世紀に中国で始まった清明祭は、18世紀初めに久米三十六姓の人々によって沖縄に導入され、18世紀終わりごろに武士階級が取り入れて、その後に庶民階級へと広がっていったと考えられます。

ごく一般的なシーミーの風景。庶民にも広がったのは200年くらい前からです。

公事清明祭は伊是名玉御殿で行われる

1870年になると、伊是名島で公事清明祭というものが始まります。場所は伊是名玉御殿(たまうどぅん)です。ここは公事清明祭の意義と密接な関係がありますので、まず伊是名玉御殿を少しくわしく説明しておきましょう。

御殿といっても実はお墓で、第二尚氏王統第3代国王・尚真王(在位1477年-1527年)が建立しました。尚真王は第二尚氏王統初代国王・尚円王の息子で、伊是名玉御殿には尚円王の両親、姉およびその子孫、さらに尚円の先祖の遺骨が納められています。

ちなみに尚真王は、世界遺産である首里の玉陵(たまうどぅん)も建立しました。伊是名は父・尚円王の出身地でもあり、その先祖を供養する大切な場所として伊是名玉御殿を造ったと考えられます。内部には中国産の高級石材でできた石厨子があり、そこに遺骨が納められているそうです。

つまり、王家ゆかりのお墓として、首里の玉陵に次ぐ由緒を誇るのが伊是名玉御殿ともいえるわけで、その意味でも非常に重要な場所なのです。

公事清明祭は王家のシーミー

さて、明治3年に始まった公事清明祭ですが、他のシーミーと根本的に違うのは、王家が祖先を供養するシーミーという点です。こうしたシーミーが行われるのは、首里を除くと伊是名島だけです。

参列するのも、王家ゆかりの四殿内(ゆとぅぬち)と呼ばれる銘苅家、名嘉家、伊礼家、玉城家の関係者が中心で、ほかには伊是名村長らの行政関係者です。2021年はコロナ禍のため、例年よりも規模を縮小して30人ほどが参加して行われました。

清明入りの前日までに行われる

その際には、お酒や料理などが供えられ、参列者が焼香します。続いて立って手を合わせて座る動作を4回繰り返す四御拝(よつみはい)が行われます。そしてお茶やお神酒が注がれ、紙銭が焼かれた後全員で拝礼します。年によっては続いて踊りや歌・三線などが奉納され、最後は全員で会食します。

ちなみに執り行う手順やお供え物などの内容や配置を詳細に指示した文書が現存していて、今もそれに沿ったものが用意されます。料理としては豚の頭、丸鶏、アヒル、カステラ、バナナ、魚、貝、餅、サトウキビ、九年母など品数が多く、かなり豪華な内容で、さすが王家のシーミーといった風情があります。

もうひとつ、公事清明祭の大きな特徴として、原則清明の期間に入る日の前日までに開催されるという点があります。伊是名島では、まず王家のシーミーを開催し、それが済んでから一般のシーミーを行うと決まっているわけですね。

まとめ

中国で8世紀ごろに始まったシーミーは、沖縄では18世紀になって久米三十六姓の人々によって始められ、首里王府がそれを取り入れました。

明治初期になってからは、第二尚氏の初代国王である尚円王の出身地・伊是名島で王家のシーミーである公事清明祭が、王家ゆかりのお墓・伊是名玉御殿で行われるようになりました。

伊是名島では、この儀式が終わって初めて一般のシーミーが執り行われます。

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