公営墓地が足りない、継承者がいない、無縁墓が増加しているなど、お墓に関してさまざまな問題が深刻化している中、コロナ禍によってお参りすら難しくなっています。
そんな時代、お墓の未来について社会全体で考えなくてはならない時期が来ているのではないでしょうか。
お墓の未来を考えるには、過去についても知らなくてはならないでしょう。そこで今回は、日本におけるお墓の歴史をざっと振り返ってみることにします。
コロナ後のお墓を考えるヒントに
お墓が遠隔地にあるため、なかなかお参りに行けない。行きたくてもコロナウイルスの感染が怖いなどの理由で実現できずに残念な思いをしている人も多いでしょう。
お墓に愛着を持つのは大変いいことなのですが、それすらできなくなったりすると、最終的には「代々の墓をどうするのか」という問題に突き当たることがあります。
そんなとき、原点に立ち戻って「お墓ってどういうもの?」と考え、お墓の歴史を振り返ってみることも有効でしょう。
権力者は大きな墓、庶民は棺もなく埋める
建造物としてのお墓が登場するのは、今から1800年ほど前に始まる、いわゆる古墳時代です。しかし、この時代お墓が造れたのは天皇や貴族、豪族など一部の特権階級に限られました。
そのため、規模が大きいのも特徴です。仁徳天皇陵はその代表格といっていいでしょう。お墓には、故人を葬るだけでなく、権力を象徴するという側面もありました。
一方、もちろん庶民は、このような大規模なお墓を造ることはありません。火葬もせず、お棺にも入れず、遺体の腰や手足を折り曲げて、そのまま埋めました。大きな石を抱きかかえさせて埋葬することもあったようで、それは死者がよみがえらないようにするものだったといわれます。今風にいえばゾンビ化を避けるためだったのでしょう。
風葬墓は2万7000年前にもあった
建造物としてのお墓が造られるようになったのは、1800年ほど前からと書きましたが、建造物ではないお墓のもっとも古いものは石垣島で発見されています。
現在の石垣空港のそばにある白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡で発見されたもので、少なくとも19体分の人骨が確認されています。この洞穴をお墓として遺体を風葬のように葬ったと考えられており、最古の人骨は2万7000年前のものと見られています。
朝廷の命令でお墓は小規模化
さて、大規模なお墓が造られた古墳時代ですが、646年に大和朝廷が「薄葬令(はくそうれい)」というものを出し、墳墓の規模を制限するようになりました。これによって大規模なお墓はあまり建てられなくなります。
6世紀になると、インド発祥の仏教が日本にも伝わってきます。その普及にともなって、火葬も行われるようになり、お墓の規模がさらに小さくなっていきます。
庶民の間では火葬と土葬の両方が行われますが、いずれの場合でもお墓を造って葬るようなことはしませんでした。お骨にせよ遺体にせよ、土に埋めるのが基本だったのです。
現在のお墓の原型は江戸時代に
江戸時代になると、時代に逆行するような形で火葬が少なくなり、昔ながらの土葬が主体になります。お墓は、遺体を棺桶に収めて土に埋め、その上に土饅頭(どまんじゅう)を置く形態が普通でした。これだといずれ土饅頭は雨風によって形が崩れていき、平らな地面に戻るので、恒久的なお墓にはなりません。
ただ、武士階級の一部では、遺体を埋めたそばに卒塔婆(そとば)という細長い木の板を立てたり、墓石を置いたりしていました。これが現在のお墓の原型だと思われます。しかし、当時墓石などは高価なもので、もちろん庶民階級にはなかなか広がっていきませんでした。
明治になってからやっと普及する
江戸時代には、お墓といえばお寺の中に少数見られる程度でしたが、明治に入ると、やっと今のスタイルのお墓が造られるようになりました。さらに東京の青山墓地のような公営墓地が造られ、宗教にとらわれない墓地のスタイルが全国へ広がっていくようになります。
さらに、江戸時代にいったん下火になった火葬が復活し、その割合が徐々に増していきます。ただ、地方では土葬や一部で風葬も残り、火葬の割合は昭和の初めごろでほぼ半分ほどだったといわれます。
こうした流れの中で、現在見られるようなお墓の形式ができあがってきたことになります。
まとめ
お墓の歴史としては、現在2万7000年前のものまで確認されていますが、建造物としては古墳時代から建造が盛んになります。
ただ、江戸時代までは、お墓を建てられるのは一部特権階級に限られました。したがって、庶民が普通にお墓を建てられるようになったのは、明治に入ってからということになります。
また、「○○家の墓」などというのは、一般庶民が名字を持つようになってからなので、その歴史はせいぜい150年かそこらに過ぎません。
したがって、代々家の墓を継いでいくという発想は、日本古来の考え方ではないといえます。こうした発想を見直すことも、21世紀のお墓スタイルを考えることにつながるのではないでしょうか。