本土に住んでいると「おたくの宗教はなに?」と聞かれることがあります。このとき「仏教です」とか「キリスト教です」とか「イスラム教です」などと答える人はあまりいません。どちらかというと「天台宗です」とか「浄土真宗です」などと答える人が多いです。
つまり、日本人にとって宗教は一般的に仏教であり、その前提で質問されたときには宗旨や宗派を答えるのが普通なのです。
しかし、ウチナーンチュが「宗教はなに?」と聞かれたとき、仏教の宗旨・宗派を答える人はほとんどいません。せいぜい「特にありません」とか、「先祖崇拝です」などと返事する程度でしょう。
それでも、お葬式にはほとんどの場合、お坊さんが来て読経し、戒名を授けてくれます。本来仏教とはあまり関わりがないはずの沖縄で、なぜお葬式にお坊さんが来るのか、疑問に思ったことはありませんか?。今回はそのいきさつについて考察してみます。
なぜ牧師さんじゃないのか・・・
お葬式にお坊さんが来るのはあまりに当たり前で、疑問に思ったこともない人がほとんどでしょう。仏教と関係がないのだから牧師さんが来てもいいはずですが、牧師さんが来るのはキリスト教の人が亡くなったときに限られるようです。
そう考えると、明確な理由もなく、キリスト教式よりは仏教式の方がまだいい、という程度の消去法でお坊さんが来るようになったように見えます。そしてそれは、日本本土からの影響が強かったと考えられます。
では、日本本土では、そもそもなぜ仏教がお葬式に絡むようになったのか。そこから見てみましょう。
住民はその地域の寺に所属させられた
仏教が日本に伝わってきたのは6世紀中ごろ。それから1100年くらい経った江戸時代初期に、幕府はキリスト教を禁止します。
キリスト教徒とされたら処刑されてしまいます。そこで人々は各地域の寺に所属し、自分がキリスト教徒でないことをお寺に証明してもらうことになりました。これが檀家になるということであり、所属するお寺は檀那寺(だんなでら)と呼ばれます。
こうした体制を寺請制度や檀家制度と呼びます。
ちなみにお寺は、行政の末端として戸籍の管理やキリシタンの監視などもしていました。したがって、檀那寺や菩提寺というのは宗教的な存在というだけでなく、お上の手先として住民に目を光らせる機関でした。
お寺にお金を差し出すよう強制
その後18世紀に入るころ、住民に対してあるお触れが出ました。それには「葬式、法要などは檀那寺でしなさい」「寺の改築・新築費を負担しなさい」「戒名を付け、お布施を払いなさい」「檀那寺を変えてはいけない」などと書かれていました。
お葬式や法要を檀那寺で行い、それに対してお金を出すようにという、お寺側に有利な内容で、これによってお寺の経営が安定するようになったのです。
これが、先祖崇拝を宗教とする沖縄においても、お葬式にお坊さんが来るそもそもの原因だと考えられます。
葬式仏教化と葬儀社の下請け化
明治に入ると、民衆とお寺を強制的に結びつけていた寺請制度がなくなります。必ずしも特定のお寺の檀家になる必要もなくなりました。そうなると、お坊さんが必要になるのはせいぜいお葬式や法要のときくらいです。これを「葬式仏教」と呼びます。
さらに戦後になると、家制度が希薄になり、地元を離れて都市部で暮らす人も多くなりました。お寺とのつながりも弱くなっていきます。こうなると、お寺はお葬式や法要においても主導権を失ってしまいました。
それに代わって台頭してきたのが葬儀社です。戦前までお寺の専売のようなものだった葬祭一式を、葬儀社がやるようになります。
そして、お寺はまるで葬儀社の下請けのような立場になり、お坊さんは依頼を受けてお葬式に派遣されるようになりました。それが、私たちが現在見ているお葬式におけるお坊さんの姿なのです。
実は仏教の影響を強く受けている
沖縄のお葬式では、消去法でお坊さんが来るようになったと書きましたが、実はよく調べるとそうともいえません。というのも、沖縄のお葬式スタイルも仏教の影響を強く受けているからです。
インドで生まれた仏教は、中国や朝鮮半島を経由して日本に伝わってきました。かつての琉球も中国と強い結びつきがあり、その交流の中で仏教も入ってきました。
琉球王府の支援により、仏教の寺院もいくつか建てられましたが、17世紀初めの薩摩の琉球侵攻後、支援はなくなりました。それどころか薩摩は代表的な民衆仏教である浄土真宗を禁じてしまいました。これによって、琉球における仏教の存在感は薄れていきます。
それでも、中国から伝わった文化のひとつとしての仏教は、ウチナーンチュの風習の中に残りました。それがお葬式にも現れているのです。
まとめ
先祖崇拝が宗教のようになっている沖縄でも、お葬式にはお坊さんが来ます。それは、日本における葬式仏教の影響が受けているからのようです。
しかし、もともと中国とのつながりの中で仏教も入ってきていて、そのなごりもあります。その意味では、お坊さんが来るのもちゃんと理由が存在するようです。