「沖縄にある外国人墓地って知ってますか?」~歴史と関わりの深い泊外人墓地の話~

沖縄の墓制を歴史的な観点から見ていくと、大まかに次のような流れになっていることがわかります。

はるか昔の先史時代ごろは、遺体を洞窟や崖などに運んで、自然に腐敗するに任せる風葬が一般的でした。

その後、海岸近くなどの斜面に横穴を掘り、その中に遺体を安置して入口を石などでふさぐ形態が現れるようになりました。横穴墓や掘込墓などと呼ばれるこうしたお墓は、現在でも見ることができます。

さらに時代が下ると王族のお墓として破風墓、さらに17世紀後半になると中国から入ってきた亀甲墓も造られるようになります。

こうした沖縄のお墓の流れに属さないお墓も見ることができます。その代表格といえば那覇市にある泊外人墓地でしょう。

今回は、あまり目立たないものの、沖縄の歴史とも大きくかかわる泊外人墓地を紹介してみます。

泊外人墓地の入口を入って右奥のスペースに並んでいるのが主に18世紀から戦前にかけての古いお墓です。

最初に外国人が埋葬されたのは約300年前

泊外人墓地は、泊港の北岸から道路を渡ったところにあります。北岸では慶良間諸島や北部を結ぶ高速船などが離発着するので、観光客の姿も多く見られるのですが、道を一本隔てたこの墓地はとても静かなたたずまいを見せています。

この外人墓地は、大まかにいうとふたつのパートに分かれています。まず入口を入って右奥の部分で、ここはウランダー墓とも呼ばれています。ウランダーはオランダ人のことで、昔は外国人一般のことをこういっていました。

ウランダー墓には6ヶ国計22人が葬られています。最初に埋葬されたのは中国人で、1718年のことだとされます。ほかにもイギリス人やアメリカ人なども埋葬されています。

中国人のお墓が4基並んでいます。1785年に漂流していた清国人4人が救助され、死亡した後ここに葬られたという記録があるので、彼らのお墓と思われます。

沖縄近世史と関わりの深い人のお墓も

なかには歴史を彩るような人のお墓もあります。ウィリアム・ヘアーズもそのひとり。1816年に亡くなったヘアーズは、この年に琉球に来たバジル・ホールの部下でした。バジル・ホールはイギリスの海軍将校で、世界中を航海しました。帰国後「朝鮮・琉球航海記」という本を著して琉球は武器のない平和国家と紹介し、大きな反響を巻き起こしたそうです。

もうひとり、マシュー・アドネ神父はフランス人宣教師として1846年に来琉しました。当時、フランスは強大な軍事力を背景として琉球に強引に宣教師を送り込んでいましたが、1848年にアドネ神父が病気で亡くなってからは、琉球への影響力行使が弱まることになります。

マシュー・アドネ神父のお墓には、現在も花が手向けられています。

ペリーの部下だった水兵も葬られている

ところで、泊外人墓地内にはペリー提督上陸の地の碑があります。ペリー提督といえば1853年に4隻の艦隊を指揮して江戸湾の浦賀沖に現れ、日本の開国や明治維新のきっかけを作ったアメリカ人として知られます。

ペリーは江戸に現れる前に、まず琉球に立ち寄りました。その際上陸したのが泊というわけです。ペリー一行は上陸後、首里城などを訪れたりしましたが、乗組員のひとりが不祥事を引き起こしました。ウィリアム・ボードという水兵です。

ボードは仲間たちとともに那覇の民家で泡盛を盗んで飲み、酔っぱらったあげくに琉球人の女性に暴行をはたらきました。この騒ぎを聞きつけた近隣の人たちが逃げるボードを海岸近くの崖まで追いつめると、ボードは足を滑らせて海に転落し、死んでしまったそうです。

ペリーは部下を殺害されたと激怒し、琉球側に裁判を要求。島流し等の刑がいい渡されましたが、それは結局執行されなかったといいます。

泊外人墓地にはペリーの部下だった乗組員たちのお墓が7基ありますが、そのうちのひとつがウィリアム・ボードのお墓です。

墓地内にはペリー提督上陸の地の碑があり、琉球人とアメリカ人が常に友人であることを望むという彼の言葉が記されています。

実は戦後に葬られた人が圧倒的に多い

泊外人墓地でもっとも数が多いのは、1945年以降、つまり戦後に葬られた人のお墓です。この墓地にある300以上のお墓のうちのほとんどは戦後に亡くなった人のものです。

なかでも特に多いのが、ベトナム戦争当時のお墓。激戦のベトナムで戦死したアメリカ人兵士らが葬られているわけです。さらにそれら戦死米兵の家族のお墓も多く見られます。

なぜ彼らが本国ではなく、はるかに遠い極東の沖縄で埋葬されているのか、はっきりしたことはわかりません。しかし、沖縄から出撃していった彼らが沖縄の地に格別の思いを抱いて、この島で眠ることを選択し、さらに家族も寄り添うように葬られることを希望したのかもしれません。

戦後のお墓はアメリカ風のシンプルなスタイルが多く、ベトナム戦争の戦死者が多く眠っています。

まとめ

ベトナム戦争終結から45年。埋葬されたアメリカ軍兵士たちの縁者が今の沖縄にどれだけいるかはわかりません。ましてや300年も前に葬られた中国人の近親者が沖縄に存在する可能性はほとんどないでしょう。

つまり、泊外人墓地には無縁墓も多いと思われます。しかし、この墓地が沖縄の歴史と深く関わっていることは間違いありません。

観光地でもないし、興味本位で足を踏み入れることは避けたいところですが、そうした歴史的意義のある場所だということは、ウチナーンチュとして踏まえておきたいものです。

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