「映画「洗骨」に出ていたのはどんなお墓か」~粟国島のお墓事情を見に行く②~

今回も粟国島へお墓事情を見に行った件の報告です。

お墓そのものについてはもちろんのこと、現在風葬洗骨の習慣がどうなっているのか、映画「洗骨」のようなことが今でも普通に行われているのかなどについて知りたいと思い、島の人にも聞いてみました。

すると意外なこともわかったのです。

こちらのお墓は、墓口を木の板でふさいでいました。

今や風葬は年一回程度

意外なこととは、現在、粟国島で風葬が行われるのは年に一回程度である、ということです。映画のようなことが今も日常的に行われているわけではありません。

では、死者をどのように送っているのかというと、火葬にしているということです。しかし、よく聞いてみると、粟国島には火葬場がないそうです。ならば、どうやって火葬しているのでしょうか。

実は、亡くなった人をフェリーで那覇へ運び、火葬した上で、お骨を島に返して納骨するというのです。

墓口をブロックでふたをしているお墓もありました。しかも、各ブロックに番号が書かれています。

女性の人権問題や衛生問題も

火葬が多くなってきている理由はいろいろ考えられます。たとえば前コラムにおいて、映画「洗骨」の中で長男が離婚したのは妻が洗骨を嫌がったからかもしれないと書きましたが、そのようなことがあっても不思議ではありません。お骨を洗うのは親族の女性、特に長男の嫁だとされているためです。

実際に洗骨をした経験のある女性と話したことがありますが、やはりなかなかつらい経験だったといいます。なかにはまだ十分に風化せず、肉が残っているお骨もあるそうで、それをそぎ落としながら洗うのはきついものがあるというのです。

こうしたことは、女性の人権問題にもなりかねず、そうした意識からも洗骨と、その前提となる風葬をやめるように圧力がかかったことは容易に想像できます。

洗骨のきつさだけでなく、風葬の衛生的な問題もあります。実際には腐敗していくわけですから、保健所から風葬を行わないよう指導が入ったともいいます。

自然と一体になれる場所でゆっくり風化していく

とはいえ、年に一回の頻度であっても、粟国島のお墓エリアのことを指すあの世に行けば、どこかのお墓で死者が風化中であることは確かです。しかし、あの世の中に立っていても、濃密な死の臭いといったものはまったく感じられません。

それどころか、南から吹いてくる潮風が心地よく、静かでいいところです。自然と一体になって人が風化していくのには、最適な場所だと感じます。さすがに人の気配は感じられませんが、まるであの世の番人のようなヤギがいました。

ただし、夜や台風のときはさすがに怖いところだろうとは思いましたが。

人の気配のない「あの世」に一頭だけいたヤギ。カメラを持ってうろつくこちらにじーっと視線を注いでいました。

火葬への転換はお墓のスタイルにも影響している?

風葬から火葬への移行は、お墓のスタイルにも影響を及ぼしていると推測できます。風葬用のお墓は、お棺が入れやすいように墓口を比較的大きくし、内部も広く取られています。しかし、火葬であればお棺は入れないので、それほどのスペースを取る必要がありません。

実際、粟国島のお墓エリアでも、沖縄本島で一般的なコンクリート製の破風墓が見られました。入口は風葬墓よりも小さく、コンクリート製のふたがされています。明らかにお棺の出し入れはせず、骨壺のみを入れる想定になっているのがわかります。

風葬が行われるのは年に一回程度と書きましたが、風葬されるのは高齢の方が多いそうです。昔の風習に従って送られたいという希望があるのでしょうか。そうであれば、風葬は今後さらに減っていくと考えられます。したがってこの先、粟国島でも火葬を前提としたスタイルのお墓が増えていくのではないかと、予測されます。

こうした一般的なコンクリート墓も見られました。墓口が狭いので、風葬ではなく火葬を前提としたお墓と考えられます。

沖縄の風葬スタイル

沖縄全体も昔は風葬が中心だったわけですが、その典型的な葬送スタイルをおさらいしてみます。

人が亡くなると、遺体の手を合掌させ、両膝を折り曲げて納棺します。お棺は寝棺ですが、人の身長よりやや短いので、遺体の足を曲げて納棺します。

出棺は普通翌日で、お棺を龕(ガン)と呼ばれる駕籠(かご)に乗せ、男たちがかつぎます。そして葬列を組んで野辺送りをします。

墓に着くと、庭にお棺が降ろされ、墓口が開けられます。そして、墓室のシルハラシと呼ばれる平坦な部分にお棺が安置されます。野辺送りの帰りには、浜辺に降りて、海の水で清めの儀式を行う地域が多かったそうです。

まとめ

実は風葬では葬式の翌朝早く、お墓参りをする風習があったといいます。墓に行ってみたら死者が生き返っていたという伝説が、その背景にあります。もしや肉親が生き返っているのではないかと、早朝の墓参りに最後の望みを託すのです。

火葬と違い、風葬であれば実際に蘇生するケースがあったとしても不思議ではありませんし、その意味では合理的な習慣だったともいえます。亡くなった人への愛惜の念がそうさせたのでしょう。

火葬場がないという現実的な背景もあったかもしれませんが、風葬や洗骨は、少なくとも怖い、恐ろしいといった風習ではなかったと思われます。

おまけ。2020年7月に就航したピカピカの「ニューフェリーあぐに」です。快適なこの船で粟国島へどうぞ。

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