沖縄のお墓の歴史と形態について

沖縄のお墓
沖縄のお墓は特徴的な形をしており、その中でも有名なお墓を「亀甲墓」といいます。そもそもこの「亀甲墓」はお墓の歴史からすれば比較的新しい形と言われております。

その昔沖縄では洞くつや岩陰などの人の目に触れない隠れた場所にご遺体をそのまま寝かせ葬る「風葬」が一般的になり、その後、遺体の周りに石を積むようになりました。他にも堀りを大きくし、屋根を作るなど人工的に様々な工夫を重ねてきました。そういった「破風墓」と呼ばれるお墓の形が作られ、やがて広まっていったのです。

破風墓について

この「破風墓」は屋根があり堀りもある、いわゆる「家」の形をした墓です。「破風墓」で有名なものでは、首里にある王家の墓で「玉陵(タマウドゥン)」があります。また糸満市にある「幸地腹門中墓(コウチバラムンチュウバカ)」は日本最大のお墓としても有名です。

これらの昔からの古い墓は岩壁を背にした形の大きな墓であるのに対し、現在の個人墓のほとんどは、平地に建てられた家の形で、こじんまりとした「破風墓」になります。これは「ヤーグヮーバカ」とも呼ばれています。

亀甲墓について

「亀甲墓」は「きっこうばか」もしくは「かめこうばか」と呼ばれておりその外見は亀の甲羅の様な形をしている事から名付けられました。一説にはこの独特な形は女性の子宮の形からかたどったともいわれ「母から生まれ亡き後も母に帰る」という「母体回帰」の思想に基づくと考えられています。

この「亀甲墓」で最も古いのは那覇市首里石嶺町にある「伊江御殿のお墓」と言われています。この墓は1685年に建てられており、1999年には国の重要文化財に指定されたのです。

お墓の形態

沖縄のお墓には4つの種類があります。それぞれ種類についてお話ししましょう。

村墓

村ごとの共同のお墓です。今ではもう見かけなくなりました。

模合墓

知人・友人などが共同で所有するお墓で「寄合墓」とも言われます。

門中墓

門中(ムンチューとも言います)と呼ばれる父系親族の共同墓地で、沖縄本島南部に多く見られます。清明祭(シーミー)には多くの親族が集まります。

兄弟墓・家族墓

他にも兄弟で共有する「兄弟墓」や家族単位で所有する「家族墓」などがあり最近ではこの「家族墓」が増えています。

個人でお墓を造るようになったのは『土地整理法』以後の事です。建てる場所は海に近い村では海に向かい集落から少し離れた場所に造られています。

そして埋葬方法にも変化が見られており、昔は火葬ではなく洞窟や墓の中に安置し数年かけて白骨化させたのち洗い清めて改葬する儀式(洗骨)が行われておりました。共同で使用しているお墓にはご遺体を安置しておく場所があり墓口に近い場所(シラヒラシ)に砂利を敷き棺を置いたと言われております。

現在は火葬したのち納骨をするので昔ほどの広いスペースを必要としないのでコンパクトな設計が広まった要因の一つとも言えます。

色々な墓がありますが、みくにでは様々なタイプの墓の悩みに対応出来るようにしております。些細な悩みでもかまいませんのでお墓に関してのご相談なら沖縄のお墓に関することならみくにへお気軽に問い合わせください。

計画を立て予算の範囲内でお墓を建てましょうのページで建設について触れていますのでよろしければ問い合わせの前に一度目を通して頂ければ幸いです。

お墓をつくりたい!沖縄でお墓を建てる前に知っておきたいこと