おはようございます。待ちに待った土曜日です。
昨日は、久し振りの晴天でした。そのお蔭でお客様に今までご不便をお掛けしていた駐車場の生コン打設工事が行われました。
お蔭様で無事に終える事ができました。
本当にギリギリ今週から本格的に行われる清明祭(シーミ)に間に合いそうです。暑い中で工事に関った方々に感謝します。
★今日一日も一期一会の気持ちを忘れずにお仕事させて頂きます。
宜野湾市の今日の天気は最高気温24℃最低気温19℃降水確率30%です。
4月13日の今日は、「決闘の日」です。
決闘の日
慶長17(1612)年旧暦4月13日、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・巌流島(舟島)で行われた。
※小学校・中学校で剣道糸筋であった私自身は、映画で見た、「宮本武蔵の剣術」にあこがれて真剣に心底に尊敬した人物の一人でした。
大人になり冷静に考えると、未だに「巌流島の戦い」謎が多いストーリーです。
宮本武蔵と佐々木小次郎の年齢差の詳細、結末や勝者など、いろいろな説について紹介していきますよ。 佐々木小次郎は存在しない説。
これは、宮本武蔵の著書「五輪書」に小次郎が出てこないせいで言われています。
五輪書といえば、武蔵の兵法の極意をかいた本のことで、自伝でもあります。
それに大決闘と言われる「巌流島の戦い」のことがなにも書いていないのです。
そのせいで、「巌流島の戦いは、後の創作であり、そもそも佐々木小次郎という人物は存在しない」と一部で言われているのです。
宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いについて、いろいろな説を紹介してみました。
いろいろある中で、歴史好きな人達の意見を参考にしてみると、
- 武蔵は遅刻していない
- 武蔵が勝者、小次郎が倒れるも、蘇生した小次郎にトドメをさしたのは弟子
- 小次郎はおじいちゃんだった。